定期報告書 2025.3月

おはようございます。着る毛布なしではもはや生きられそうにない、福島県郡山市の税理士、神田広美です。

2月は大雪が降ったり、そうかと思えば春のような陽気があったり、気温の変化が激しかったですね。

神田は雪かきで腰と腕を痛め、その後も、寒さで右手の小指側半分の腱鞘炎が悪化し、書類めくりと電卓計算にだいぶ苦労しました…。(姉が持ってきた大量の領収書に殺意を感じました。笑)

昨年の今頃、高校時代の部活動(商業研究部という簿記を勉強する部活に所属していました。)の恩師が事務所にお見えになり、20年以上前の、なんとも懐かしい新聞記事と広報誌を持ってきてくださいました。

内容は日商簿記1級合格の際に取材をしていただいたものだったのですが、その中で、高校生の神田は「税理士を目指している」と答えており、今更ながら過去の自分に驚いています。(この記事は本当に私のことを書いているのか?とすら思いました…。)

記憶を辿ると、確かに高校3年の6月の検定までは「今回の試験で合格出来たら仙台の専門学校に授業料免除で行ける。それならなんとか進路希望を変えられるかも…」と必死に勉強していたのですが、詰めの甘い神田は試験に落ち、11月の段階では、(恵まれているのに本当に申し訳ない限りですが…)正直望んでいなかった進路選択肢しか残っていない状況でしたので、試験のために勉強環境を整えてくださった先生方には感謝しつつも、将来がゼロベースになり、半ばやけくそで試験に臨んだことしか思い出せませんでした。

当時は、周りの「こうしてほしい・こうあってほしい」に応えることが正解で、ある意味仕方がないことだと思っていたので、おそらく、表面的な、他人が喜びそうな答えが「税理士」という職業だったのだと思います。

そのため、大学時代は全く税理士試験を受ける気もなく、会計事務所に就職したのは、簿記の資格を持っていた+面接のときに事務所の先生に「この仕事、きっと向いていると思うよ」と仰っていただけたのが嬉しくてその気になった、という単純な理由からでした。

就職後、神田の身に余るような顧問先様を担当する機会を事務所に与えていただいたことで「このままでは本格的にマズイぞ…」と、25歳になってようやく税理士試験を受け始めましたが、逆に言えば、その機会がなければ資格取得に本気になることはなかったと思います。

見えない何かに操られ、いつの間にやら軌道修正されていた人生………本当に不思議です。

とはいえ、学生時代(小学生の頃の話ですが…)唯一の習い事・そろばんから始まり、神田の人生は数字と計算機の歴史といっても過言ではなく、他にやりたいと思う職業もないので、結局は落ち着くところに落ち着いたということでしょうか…。

神田の隠れた能力と適性を見出し、引き出す環境を惜しげもなく与えてくれた、高校時代の恩師をはじめとする数々の出会いに心から感謝しつつ、願わくば、このまま税理士として生きることができるよう、なお一層の自己研鑽と営業努力をしていきたいと思う今日この頃です。

最後になりましたが、当時は今と違い、Webの通信教育といった便利な学習ツールがない中、1級を勉強したいという希望を叶えるために、OGや専門学校にまで掛け合ってくださった恩師に、改めて感謝を伝えさせていただければと思います。

大竹和徳先生、本当にありがとうございました。

※ 定期報告と言いつつ2月のことがほとんど書いていないですね…。2月…そうですね……コタツの天板の裏表をひっくり返しました。夜に作業する際、明るい色の天板の方が目がショボショボしないです。暗い天板だと、なんだか眠くなるので不思議です…。

※ 姉の悪口(?)を書きましたが、神田の簿記の最初の先生は、実は姉です。高校入学前、中学卒業後の春休みに簿記を教えてもらっていました(…スパルタでした)。近くに住んでいるので、お腹を空かせた可哀想な妹に未だに食べ物を与えてくれています。ありがたいです。